PLATE HK-047 · 軍事
舞鶴要塞
Maizuru Fortress
舞鶴要塞は、京都府舞鶴市の舞鶴鎮守府周辺に設置された大日本帝国陸軍の要塞地帯である。日清戦争後、南進するロシアへの対抗策として舞鶴に海軍の軍事拠点(舞鶴鎮守府)を置く方針が明治22年(1889年)に決定され、これに先立ち明治20年(1887年)に葦谷砲台など要塞地帯の建設に着手したとされる。一方、着工年については明治30年(1897年)とする資料もあり、一致しない。全工事は明治36年(1903年)に完了し、日本陸軍の要塞としては日本海側で唯一のものであったとされる。
舞鶴湾の東岸・西岸に葦谷、浦入、金岬、槇山、建部山保塁など複数の砲台や爆薬庫が配置され、構造はコンクリートおよびれんが造で、建築年代は明治32年から34年(1899年~1901年)ごろとされる。要塞地帯法・軍機保護法により、港湾の写真撮影や車窓からの軍港の目視すら厳しく制限されていた。
各砲台は昭和初期にかけて順次除籍・廃止され、槇山砲台については大正2年(1913年)ごろに廃止が予定され、昭和10年(1935年)に全部除籍、昭和16年(1941年)に備砲が撤去されたとの記録がある。戦後は一部が畑地として造成されたほか、槇山山頂部にはNHKの送信所や自衛隊の無線中継所などが建設され、遺構の一部が破壊された。
現在、槇山山頂部は舞鶴市が管理する公園用地(槇山公園)となっているが、遊具等の施設はなく、管理が行き届いているかは不明である。他の砲台跡については戦後長期にわたり放置された状態が続いており、保存状態は場所によって異なる。
訪問日 — / 記録者 K.
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